ペッグが解雇されてエヴァンがアレッド・リチャーズに入れ替わった直後に、最初のスタジオ・アルバム『ウェイ・ビヨンド・ブルー』(Way Beyond Blue) を発表した。バンドは、この新しいラインアップでしばらくの間続いた。シングル「ア・ロット・トゥ・アンサー」(You've Got a Lot to Answer For) はラジオのエアプレイを受けて、1996年9月に全英シングルチャートのトップ40に入るヒットとなった。彼らの大きな成功は、1998年初頭のアルバム『インターナショナル・ヴェルヴェット』(International Velvet) と、シングル「モルダー&スカリー」(Mulder and Scully) で、2週間隔で発表された。アルバムは全英アルバムチャートでナンバー1ヒットに至り、90万枚を売り上げて英国レコード産業協会でトリプル・プラチナを認定された。シングルはシングルチャートで最高3位を記録した。
続いて発表された「ロード・レイジ」(Road Rage) は5月に5位を記録し、ブリット・アワードやアイヴァー・ノヴェロ賞にノミネートされ、Qアワードを獲得した。10月1日にはミレニアム・スタジアムで行われたラグビーワールドカップ1999の開会式でバンドは演奏を行った。マシューズはイングランドのバンド・スペースと共演してシングル「トム・ジョーンズのバラード」(The Ballad of Tom Jones) を1998年3月に発表し、1999年12月にはカバー曲「ベイビー、イッツ・コールド・アウトサイド」(Baby, It's Cold Outside) をトム・ジョーンズとデュエットした。バンドにとっての最後のトップ10シングルは、1999年4月の「デッド・フロム・ザ・ウェイスト・ダウン」(Dead from the Waist Down) で、アルバム『カースト・アンド・ブレスト』(Equally Cursed and Blessed) に収録されている。解散の噂が流れる中バンドは2年間休止し、2001年にアルバム『ペイパー・シザーズ・ストーン』(Paper Scissors Stone) を発表後に解散した。